ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織で探す > 総合企画部 > 政策企画課 > 水の作文コンクール・あたりまえの水

本文

水の作文コンクール・あたりまえの水

ページ番号:0275282 更新日:2024年10月8日更新

山口県優秀賞

あたりまえの水

周南市立須々万中学校 3年 貞森 琉悟(さだもり りゅうご)

 蛇口をひねればきれいな水が出る。それは当たり前のことで疑う余地もない。生きていく上で、水が必要だということは、誰でも知っている当たり前のこと。水は私たち人間の生活に必要不可欠なものだ。
 記憶にも新しい能登半島地震による断水のニュース。三ヶ月以上が経った今もなお、断水が続いている場所があると聞いた。蛇口をひねっても水が出ない。水が飲めない。手が洗えない。洗濯、トイレが使えない。風呂に入れない。大まかなことだけあげても日常生活において、かなりの制限がある。僕にはニュースや新聞などで情報を得て、その上で想像することしかできないが、水が自由に使えない中での生活が、どれほど大変で、不便を強いられる過酷なことか。自分だったらすぐに音を上げて、とても暮らしていけないと思う。
 そもそも、水道が初めて作られたのは江戸時代のことらしい。徳川家康が江戸幕府を開くときに作ったのが始まりと言われている。人々の生活には飲み水や生活水が必要だと考えて水道作りを命じたのだろう。江戸幕府の発展が著しく、人口が急増したため次々と上水が誕生し、人々の生活を担っていた。江戸幕府が発展した理由の一つは、間違いなくこの水道の発展によるものだろう。家康の時代から試行錯誤と進化を重ね、どんどん発展していった水道技術。日本の水道普及率は九十八パーセントと言われており、高い水準を有している。しかしながら、世界的規模でみると、水道が整備されていない国はまだまだ多い。
 考えてみた。もしも日本に水道が整備されていなかったらどうだろうか、水を得るためには、雨の水や川の水を利用する方法しかないだろう。国土交通省の資料について調べてみると、私たち日本人は水を一日に一人当たり二百五十~三百五十リットルくらい使用しているようだ。これだけの量の水の雨水を溜めて利用するには限界がある。川の水を利用するとなると、かなりの量、かなりの重さの水を運ばなければならない。そのうえ生きて生活していくためには、休みなく、毎日、欠かさず水を運ぶ必要がある。現実的に考えて不可能だ。それに、浄水施設で行われているような、十分な殺菌や濾過や消毒ができていない雨の水や川の水には、微生物やほこり、細菌、泥などが混ざっており、衛生面、病気など身体への影響も懸念される。実際、水道が普及していない国では、コレラやチフスなどの感染症で命を落とす人が多い。そして、子どもたちは生きていくために水汲みをしなければならず、教育の機会を奪われている。
 同じ世界でも、水問題に苦しみ、自分の時間をうばわれ、死に直面している人がいるのだ。水道があるのが当たり前で、蛇口をひねれば、そのまま飲めるきれいな水が出る国に住んでいる僕たち。学校に持って行った水筒が空になり、仕方なく水道水を飲み、美味しくないと文句を言っていた僕。なんてぜいたくで、わがままな発言をしていたのだろう。安心、安全、便利が身近にありすぎて、ありがたみを感じる感覚が鈍っている。そんなことが世の中にはまだまだたくさん潜んでいるはずなのだ。
 しかし、今の僕には残念ながら世の中を変えるすごい力はない。今の僕にできること。それは、ほんの小さなことだけれど、現実を正しく知り、正しく理解することだと思う。